HOME > THE WORLD > Asia > Central Asia > (4)
CENTRAL ASIA
中央アジア
(4)タシケントへ戻り、恐るべきカザフスタン国境越え
2012年5月2日水曜日。
朝7:30起床、8時前に朝食食べに中庭に降りる。ほどなく高橋君が降りてくる。さらに日本人女性、オギノさんも朝食で一緒になった。
荷物をまとめてフロント横の部屋に預け、チェックアウト。宿のかわいいネーちゃんの写真を撮らせてもらう(笑)。
9時前に外に出る。今日は午前中サマルカンド観光をし、午後にタシケントに戻る。
昨日の晴天とはうって変わって、重い曇天。レギスタン広場の前を通り抜け、噴水の並ぶ公園の脇に、ルハバッド廟がある。神秘主義者シェイヒ・ブルハヌッディン・サガルジを祀っているという。14世紀に建てられたというこの廟は、青ではなく茶色のレンガ造りそのままの色をしている。中に入ってみると棺がある。
そこからグリ・アミール廟(アミール・ティムール廟)は近い。巨大な四角い箱のような門塀をくぐると、廟がある。中に入る。修復された金ぴかの部屋に、ティムールやウルグベグなどの棺が並んでいる。グリ・アミールとは、タジク語で「支配者の墓」という意味。ティムールやその息子が葬られた霊廟である。
棺の部屋はよかったが、建物自体はレギスタン広場で巨大メドレセ群を見た後では、「ま、こんなもんか」的印象。
外に出る。このグリ・アミール廟は、青ドームが独特の形だ。
しばらく新市街方面へ歩く。雨がパラパラ降り始める。
11時に宿に戻り、荷物を持ってシヨブ・バザールへ。おばちゃんたちが色んなものを売っている。衣料品、ナン、生鮮食料品・・・。おばちゃんたちの多くは、カラフルなワンピースを着て、頭にはターバンのような布を巻いている。民族衣装だろうか。
スザニ売りのおばさんが声をかけてくる。スザニとは独特のデザインの刺繍を施した布のことで、ウズベキスタンの民芸品である。テーブルクロス級が25ドルだと言う。だけど手触りを確かめてみると麺で安物っぽい。青・水色系で色とデザインはいいのがあったので、後で時間があったら買おうと思った。だが後で戻ったがこのオバちゃんの姿を見つけられず、結局買うのを諦めた。
屋台が出ている。ソーセージパンとか揚げパンとか総菜パンを売っているおばちゃんがいて、あまりに美味そうだったので求める。美味い。
昼飯、昨日の食堂で、ついにショールヴァにありつく。ちょっとしょっぱい。大きな人参とユカ、肉の塊が入っている。残しておいたナンを浸して食べる。昨日もそうだったけど、相席になったガタイのいいおじさんが、自分の飲んでいたチャイを僕に勧めてくれた。急須で入ってくるので、何杯でも飲めるからだ。僕はありがとうを言う。彼はチャイを置いて去っていった。この国にはいい人が多い。
食べ終わりの一服。サマルカンドも終わり。スザニ売りのオバちゃんは見つからなかったので諦めてバス停を探す。だが、来るときに乗った52番のバスでバスターミナルまで行こうとするが見つからない。ロシア語でバスターミナルを意味する「アフタヴァグザール」とバスの呼び込みのニーちゃんの一人に聞く。すると「後ろのバスだ」と教えてくれた。なるほど、後ろのバスのニーちゃんは「アフタヴァグザール!」と連呼しているではないか。何だ、ロシア語か、とふと思う。みんなロシア語を話すのだ。いや、バスターミナルは「アフタヴァグザール」というロシア語がウズベク語でも普通なのかもしれない。つまり、日本語で「テレビ」というようなものだ。
バスに乗り、バスターミナルには12:40に着いた。バスから一緒に降りたおじさんと、歩きながらしゃべる。面白いことに、彼は、ウズベク語で僕に語り続ける。僕は分からないので、日本語で彼に返答する。が彼はお構いなしに会話を続ける。面白い。会話にならない会話が続いているのだ。お互いが何を言っているかまったく理解しないままに、会話は続く。ひょっとして彼は日本語を分かるのだろうか。それとも僕の日本語が彼の耳から脳に入って自動的にロシア語に変換されて聞こえちゃってるのだろうか。そうだとしたらそれはそれで特殊な能力だ。
僕が「今日、タシケントに行く」と言っているのに対し、「ここはサマルカンドだ!」と主張しているように聞こえる。もう一人、近くにいた学生風情の若者が、少し英語が分かるらしく、通訳してくれた。だが、結局おじさんが何を言いたかったかは闇の中。
バス操車場では、案の定13時発タシケント行きのバスがスタンばっている。トイレに行く。トイレから出てくるとまだおじさんがいた。「まだいたの?」と日本語でおじさんに声をかけ、タバコに火をつける。すると、おじさんは「1本くれ」とタカってきた。ま、しゃーないか、と思いながら彼にタバコを1本渡す。ま、ここではタバコ一箱200スム(50円程度)だから、安いものだ。彼は「スパシーバ」(ロシア語で「ありがとう」の意)と言ってきた。これだけが、彼との会話で唯一聞き取れた単語だ。
サマルカンド 写真集
バスは定刻13時に出発。15時半、行きと同じガソリンスタンドで休憩。ここで同じバスに吉田さんが同乗していることが分かる。途中乗り込んできた物売りが、ヒマワリの種を売っていた。僕が物珍しそうに見ていると、小さなビニール袋に入れて一握りをくれた。いい奴だ。
PM6時、バスはタシケントに到着。やはり5時間かかった。途中結構寝れた。
吉田さんと二人でタクシードライバーに囲まれる。英語のできる一人がリードして「どこ行くんだ?」と寄せてくるが、「メトロで行くから」と言うと黙った。
吉田さんと地下鉄に乗り街の中心へ。もう勝手知ったるタシケントだ。吉田さんも高橋君も5月4日の夜便で日本に帰るとのこと。吉田さんはあと二日をタシケントで過ごすそうだ。高橋君はサマルカンドから今日ブハラまで行って明日の夜行でタシケントに戻ると言っていた。
吉田さんと別れ、僕は再びB&Bグルナーラへ。宿のおじさんもおばさんも「おぉ、また来たか!」と歓迎してくれたが、あいにく満室とのこと。PM6:40、中庭に人がうじゃうじゃいる。おばさんとおじさんはとてもいい人たちで、僕のために小さな部屋を用意してくれた。おじさん曰く、「日本人のためのスペシャルルームだ」と言っていたので、夜中にタシケントに着いたりする日本人が結構この部屋を使うのかもしれない。その部屋はいまパーティをやっている広間の横にあるらしく、パーティが終わるPM8時過ぎまで入れないというから、飯を食いに外に出る。もちろん、行きつけのZaminレストラン。これまたウェーター連中が、「また来たか!」と喜んでくれた。番頭格のウェーターの一人と話し込む。奴は英語が話せる。僕が書いている日記の小さな文字を見て、「うぉう、読めネー」とうめく。彼は今、韓国語を学んでいるとのこと。韓国人がこの国に多いことが分かる。確かに、タシケントに飛んでくる飛行機は、日系の航空会社はないが、アシアナも大韓も直行便を飛ばしている。高橋君の話では、、この国に産出するウランが韓国の目当てなのだという。原発推進の韓国が、ウランのためにウズベキスタンと関係を強化している、というのだ。ま、そんなことだろうとは思っていたが、一般食堂のレストランのウェーターが韓国語を勉強するほど韓国人が多いということか。確かに、街で僕はほとんど毎回「お前は韓国人か?」と聞かれる。
ウェーターのニーちゃんは、僕の旅について色々聞いてくる。これからカザフスタンに行くこと、ウズベキスタンは時間がなくてタシケントとサマルカンドのみだったこと、ウズベキスタンは人が良くて人懐っこくてとてもいい国だ、ということを話す。彼は「旅をして色々なものを見るのはいいことだ」と自分に言い聞かせるように言う。僕が「今日がウズベキスタン最後の夜だ」と言うと、彼は一期一会の感傷に陥ったのだろう、僕との別れを惜しみ、「また来てくれ」と念を押すように僕に告げた。
9時過ぎ、ホテルに戻る。パーティはもう終了し、スペシャルルームに入れるようになっていた。狭いが全然問題ない。10時半頃には寝る。
5月3日木曜日。
7時前に起きてクソして7時から朝食。7:40頃、計4泊のお世話になったグルナーラの主人、おばさんに礼を言って宿を後にする。今日はウズベキスタンからカザフスタンへ陸路国境越えをする。これがとんでもない国境越えになろうとは。
チョルスーからメトロに乗り、タシケント駅へ。そこから60番のバスに乗る。乗る際、運転手のオヤジに、「ユーヌサバッド・ウニヴェルサームで降りたい」と告げたら、彼は「よし分かった」と言ったのだが、結局奴はそれを忘れていた。20分くらい乗って、前方に目印の陸橋が見えてきたので、ここかもと思って運転手に聞いたら、やっぱりそうだって。おいおい、君、忘れてるじゃないか。ちゃんと教えてくれよ!
午前9時。水が飲みたかったので、雑貨屋で水があるか聞いたら、冷たいのはないと言われる。日差しが強く、冷たい水が飲みたいが仕方ない。買うときに炭酸入りかどうかを聞かれ、スペイン語で「Sin Gas(ガスなし)」と言ったのだが通じず、ガス入りを買わされてしまった。ラベルを見ても何も読めないので、ガス入りかどうかが分からず。痛恨。仕方ない、ガスを抜いて飲もう。
ここから国境チェルニャイェフカまで、マルシュルートカ(乗り合いバス)が出ているはずだ。少し探したら陸橋の下にいた。だがなかなか他の客が集まらず、出発しない。ドライバーのニーちゃんが強引な呼び込みをしないせいか。どうもこの人は人が良さそうで、商売二の次的な緩い雰囲気だ。こっちは早く行きたいのだがま、待つしかないか。
9時半頃ようやく席が埋まり、出発。15分くらいでチェルニャイェフカに到着。ここまでは至極順調だった。しかしここからが・・・。
国境、ウズベキスタンの出国管理の建物まで、穏やかな陽光の中、人々が歩いてゆく。草原が広がっている。ここで一緒に横に歩いていたのが、中国人の若者グループだった。彼らはウズベキスタンかカザフスタンに住んでいるんだとのこと(どっちかは聞き取れなかった)。僕がのどかな風景の写真を撮っていると、中国人の一人が「ここは撮影禁止だから撮らない方がいい」と僕に注意してくる。
ウズベキスタン側の出国審査はすでに長蛇の列が出来ている。「これ、待つのかよ?」と青くなったが、ウズベキスタン出国は、列は出来ていたが流れたので、それほど時間はかからなかった。1時間程度か。だが、カザフスタンの入国に恐るべき時間がかかった。入国審査が終わって外に出るまで、3時間かかった。列が進まないのだ。ウズベキスタン人たちが何本もの列を成しているが、どれも遅々として進まない。一体全体どうなっているのか?前方にブースがあり、その中にカザフの入国審査官がいて仕事をしているはずなのだが、列が全く進まない。おかしい。審査官が昼寝でもしているのか?一服して茶でも飲んでいるのか?
並んでいるのはほとんどがウズベキスタン人だと思われるが、みんな諦め顔でじっと待っている。話によると、5月上旬のこの時期、中央アジア諸国は休みのシーズンらしく、ウズベキスタンからロシアへ出稼ぎに行く人たちが、大量にこのカザフスタンを通過してロシアへ抜けるそうだ。だからこんなに混雑しているらしい。
さて、我慢して列に並んで、ウズベキスタン人と一緒にじっと待つ。ここまでのタシケント、サマルカンドでも分かったが、ウズベク人は人懐っこい人が多い。この列で並んでいても、僕に話しかけてくる。英語が出来る人は少ない。隣に並んでいるアフメドは、30がらみの男で、友人だろうか、男と女、3人で国境越えをしようとしている。奴は英語を話さないが、僕と話したくて仕方ないらしく、片言の会話をする。メールアドレスを教えてくれと言うから教えてやる。ウズベク語でメールを書いてこられても読めないけどね。
全然列が進まない。でよく見ると、後の方から、カザフの人間だかウズベク人だか分からないが、列に並ぶべきウズベク人を連れて、列の一番前まで入って横入りさせているのだ!!何だこやつらは?アフメドに、このズル込みについて尋ねる。彼によれば、つまりこういうことらしい。後ろに並んで時間がかかるのが嫌な人とか、何か役人と知り合いな奴らは、金を払って、列をショートカットさせてもらっているなのである!!つまり、露骨な賄賂戦法だ。ここまで露骨に出来てしまっていいのだろうか?横入りする人間も、正しく並んでいる人々の憎悪の目にさらされなが最前列に行くのだ。良心の呵責を感じているはずだ。金で自分だけいい思いをする。周りの人々の冷視線を感じないわけでもあるまい。よく鉄面皮で横入り出来るものだ。恐るべき賄賂社会。旧ソ連とはこれが普通なのだろう。金さえ払えば、思い通りになる。そして金をもらって役人は権力を乱用する。
さて、ここカザフスタンの入国審査場では、入国する人々を監視・統率しているカザフスタンの係官たちが、あり得ないほど超高圧的だ。これが社会主義の役人、ということなのだろうか。特にひどい男がいて、奴はそこここで列を作っているウズベク人を怒鳴り散らす。濃緑の制服に、滑稽なほど大きな緑の帽子を威圧的に被っているカザフ役人の暴虐男。はっきり言ってこれは見ていられなかった。こいつを仮にカエル野郎、と呼ぶことにしよう。このカエル野郎は本当に最悪だった。どうやら、「きちんと並べ」だとか、「荷物を並べろ」だとか言っているらしい。ウズベク人たちは恐怖の眼差しで言うことに従っている。確かに、入国審査官というものに対して、入国する側はどうしても卑屈にならざるを得ない。そいつがへそを曲げて入国を許可されなかったら大変だ。
奴は警棒を振り回しながら、ちょっと素行が目についたウズベク人を頭ごなしに怒鳴りつける。ここで、極めつけの事件が起こる。僕の後ろのウズベク人の男(見たところ30代前半くらい)が、よせばいいのに携帯で電話をかけ、誰かと話し始めたのだ。おいおい、ここじゃマズいだろ、曲がりなりにも入国審査所だぞ?案の定、この行為はすぐにカエル野郎に見つかり、ちょっと離れたところから、奴は大声で怒鳴りながら血相を変えて近づいてきた。で僕の後の男から強引に携帯を取り上げる。僕の後の男はもう涙目で目が泳いでしまって、まさに蛇ににらまれたカエル状態である(いや、実際には睨んでいる方がカエルなのだが)。列に並んだ大勢が、このやり取りに注目する。もうほとんどのウズベク人が、これから起こることを想像していたに違いない。ここから僕の脇で交わされた会話は、言葉としては全く理解できなかったが、動きからしてこんな感じだったことだろう。
「お前、何やってんだ!」
「すみません」
「ここで携帯使っていいと思ってるのか?」
「すみません」
ここからが、この話の核心だ。
「この携帯電話は没収する」
そしてパスポートも出させる。
「そんな、返してください」
「返せだと?お前法を犯しているんだぞ!」
「すみません」
「返して欲しいか?」
「はい」
「お前、いくら持ってる?有り金を全部出せ」
男は、ポケットから有り金をすべて取り出す。カエル野郎はそれを受け取る。それと引き換えに、携帯とパスポートは男の手に戻された。
なんということだ!!
ここではこのような腐敗が公然と、公衆の面前で行われているのだ!これにはさすがの僕も驚いた。公然と金を受け取る役人。この場合は金を取られた方はやってはいけないことをやったのだから、告発など出来ないのだろうが、カエル野郎は、この後も気に入らない奴がいると言いがかりをつけ、金を巻き上げたり、列の後ろに呼び出して何やらやってる。ほとんどの場合、どう見ても悪いことしてないのに言いがかりをつけられているようにしか見えない。目の前で繰り広げられる、強権による恐怖政治。旧ソ連の体質を象徴する出来事だったろう。ウズベク人もよく我慢しているものだ。こんなことされたら、暴動が起こってもおかしくないと思うよ、ホント。僕の前の男は、カエル野郎が列を横切ろうとするときに目の前にいたので、「立て!」と思いっきり怒鳴られる。彼は慌てて立ち上がる。それにしても何でこんな奴が野放しなのだろうか。ウズベキスタンとカザフスタンはきっと仲が悪いに違いない。関係が良好だったら、こんな国境はあり得ないはずだ。そもそも陸路国境が少ない。普通はバスとかマルシュルートカで越えられるはずだが、ウズベキスタンとカザフスタン間は、そのような国際バスがない。ここにいる限り、出稼ぎに出る貧しいウズベキスタン人が、一方的にカザフの役人に虐げられているように見える。二国の経済的、政治的関係性が見える気がする。
そんなことがあった後も、列は一向に進まない。賄賂を払って最前列から横入りする連中が後を絶たないのだ。賄賂を受け取って彼らを先導する斡旋屋も、僕らの憎しみの対象となる。途中、列にちゃんと並んでいる人々の間でも、なんと金集めが始まった。みんないくらかを払って、前に回し、早く処理してもらえるよう、係官に渡すのだ。全うに並んでいる人たちも、みんなもう心まで売り渡してしまっているのか。僕は絶望的な気持ちになる。僕は当然のごとく金を払う気は全くなかったのでこの金集めには賛同しなかった。
それにしても繰り返すがこんなことがまかり通る国には初めて来た。カザフの係官の手先にも逆らえない民衆の弱さ。権力というものは、こうも簡単に人心を踏みにじるものなのだ。こんな国は初めてだ。そう遠くないいつか、ここで暴動が起き、あのカエル野郎がウズベク人たちに袋叩きにあって半殺しになる日がやって来る。革命やクーデターなどそうやって繰り返されてきたのだ。民衆が権力による厳罰を恐れている間は起きないが、抑圧状態が続けば、そのストレスが暴発する時がきっとやって来るだろう。抑圧、抑圧、抑圧、そして一揆。抑圧されて死に至るくらいなら、反乱して死んだ方がマシだ、というところまで追い詰められたときに一揆が起こるのだ。
何だかんだで数時間。列が大分進んだところでいきなりの停電だ。ここまで待った人々から絶望的なうめき声が湧き上がる。電気なしではコンピューターが動かず、入国処理が進められないのである。このまま電気が復旧しなかったら、ここで足止めされたまま夜を明かすのだろうか?だが、この停電は、20分くらいで復旧した。人々から歓声が上がる。
こうして3時間が過ぎた。やっと僕は列の先頭、入国審査のブースまでたどり着いた。そしたら、別の係官に、「お前、日本人か?」と聞かれる。「そうだ」と答えると、「ウェルカム、カザフスタン!]と言われる。何言ってんだよ、こちとら3時間もこの列に並んで、たった30m進むのに3時間もかかってんだぞ!ふざけんなよ、と心の中で叫ぶ。
入国審査は、入国カードにスタンプ1個のみ。レジストレーションは?と聞くと、「5日以内の滞在であれば不要」と言われる。「押してくれ」と頼んだがダメだった。ならそれまで、別にいいさ。これでこの後問題が起きても、いくらでも反論できるからな。
そしてカザフ入国では税関の紙もなく(※注)、その後は荷物のX線検査をしてついにカザフ入国が完了。国境越えに4時間かかった。
カザフ時間14:50だ(ウズベキスタンに対し、カザフスタンは1時間進む)。外のトイレで小便し、タバコを一服する。
タクシー野郎どもがワラワラと近寄ってくる。僕はシムケント行きのマルシュルートカに乗り込む。その前にオバちゃん両替屋から10ドル分だけ両替。たくさん換えれば1ドル=145デンゲ、少ないと1ドル=140デンゲだという(※デンゲはカザフスタンの通貨)。そして残ったウズベキスタンのスム(わずか3500スム)もデンゲのコインに換えてもらった。
マルシュルートカは例によって席が乗客で埋まるのを待つ。15分ほど待って出発。シムケントまで500デンゲというから、3ドル以上だ。ちなみにタクシーだと相場1000デンゲ、一番安いオファーで700デンゲ。高いなーと思っていたが、どうして、実に遠かったのだ。シムケントまで1時間20分もかかった。一本道をずっと北上。風景は、草原だ。時々石造りの家屋が固まる村や割と大きな町も通り過ぎる。
カザフスタンは、草原の国である。緑が遠くまで広がっている。時々茶色一色の砂地となる。この一見何もないように見える大草原で、遊牧民達が興亡の歴史を繰り広げてきたのだ。遊牧民の国。
16:50、シムケントの街に到着。『地球の歩き方』にはロクな地図が載っていないので、ここがどこなのか全く分からない。道行く人に道を聞くが、みんな英語を解さないのでコミュニケーションが難しい。「オルダバス」と連呼してみたが、ここから遠いらしく、道を解説してくれる人はいなかった。「あっちだよ」くらいしか分からない。
仕方なく歩く。国境越えで疲れ切っていた。列に並んでいる間はほとんど立っていたのだ。3時間も。シムケントの人々は、圧倒的にアジア的な顔立ちが多い。ウズベキスタンとは違う国に来たことを痛感する。国境越えただけでこれほど人間の顔立ちが変わるのか。一方、独創的な旧ソ連的建物はここシムケントにも健在だ。角々しいデザインと奇妙な装飾。街の中心からは離れたところに降ろされたらしく、シムケントの中心、オルダバス広場までは大分遠かった。
数km歩いて、ようやくホテルオルダバスにたどり着く。フロントの女二人が感じ悪いこと。英語をあまりしゃべれない上に上から目線。1泊5000デンゲ(30ドル以上)と言われたのでどうするか迷う。部屋は汚いがバス・トイレ付き。大型だが高級でないホテルの典型だ。まずはデンゲを両替することにする。感じの悪い二人の女に両替所を聞く。
通りを挟んだ向かいに、2軒の両替屋があった。1ドル1478デンゲと1475デンゲだったので、1478の方で換える。100ドル札でのレートが1478だという(他の小さい紙幣だとレートが悪くなる)ので、仕方なくバックパックから100ドル札を1枚取り出して渡す。
ブースの中では、夫婦だろう、おじさんとおばさんが僕が渡した100ドル札を改めている。見た目は中国人っぽい。アジア系だ。英語で会話する。
「どこから来た?」
「日本だフクシマだよ、知ってるか?」
「もちろんだ、アトミックボム大丈夫か?」
「違う、原子力発電所だ。今でもまだ大変だ」
すると二人は同情の表情になる。そういえば前にも「フクシマ」と言ったら「アトミックボム」と言った奴がいたな。違うって。
その後オルダバスにするかショッピングセンターのバイテレク・サパルモーテル(3900デンゲ)にするか迷ったが、サパルモーテルはここからまたかなり歩かねばならず、もう歩く気力がないので、オルダバスに泊まることにする。
19時チェックイン。フロントの女、金髪に黒縁メガネのロシア女が高圧的でムカつく。パスポート出せとか、何を言うにも命令口調と言うか、上からなのだ。ただ単に英語を上手く話せないだけかもしれないが、その感じの悪さには僕もかなりムッとなった。フロントで支払えと言うときに、露骨に「マネー」とか単語のみで言うから、これ見よがしに彼女に向かって嘲笑した。アホか、お前。
部屋に荷物を置いて飯を食いに出る。始めホテル1階にあるレストランに座ったが、いつまで経ってもメニューを持ってこないのでやめ、外を探す。少し歩くと、あった、怪しい食堂が。全然言葉が通じないので、例のごとく『歩き方』の写真を見せて、ボルシチ、トマトサラダ、マンティ、茶を頼む。ウェイトレスのネーちゃんたちは、言葉は通じないが感じはいい。同じ部屋に、女2人組と男3人組の二つのグループがテーブルで酒を飲んでる。カザフスタンもウズベキスタンと同様、多数がイスラム教スンニ派のはずだが、ここではイスラムなのか判然としない。シムケントでは女性が夜飲み屋で飲んでたし、中央バザールでは男どもが昼間からビールを飲んでいた。彼らはイスラム教徒ではなく、少数派のロシア正教徒(キリスト教)なのだろうか。
飯は、まぁまぁ。マンティは、サマルカンドの方が美味かった。サービス料10%込みで126デンゲ(約9ドル)。高い。8時過ぎ、ホテルに戻る。もう外は暗い。シムケントの夜、9:50頃にアザーンが流れる。この旅で始めて聞いたアザーン。やはりここはイスラムか。
(続く)
(戻る)
(中央アジア旅行記 1−2−3−4−5−6−7−8)
HOME > THE WORLD > Asia > Central Asia > (4)